2008年02月15日
メソジスト協会
アメジストじゃありませんよ!
メソジスト(Methodist)とは、18世紀、英国でジョン・ウェスレーによって興されたキリスト教の信仰覚醒運動の中核をなす主張であるメソジズム(Methodism)に生きた人々、および、その運動から発展したプロテスタント教会・教派に属する人々を指す。
メソジスト運動は、本国英国ではさほどの勢力にはならなかったが、アイルランド、アメリカ、ドイツなどに早くから布教し、メソジスト教団は、現在アメリカでは信徒数が2番目に多いプロテスタント教団である。信条としてはルター派に近く、悔い改めによる救済を強調する。カルヴァンの説いた予定説的な考え方はとらない。これゆえ、ヨーロッパ大陸におけるプロテスタントの二大潮流であるルター派と改革派は、英国や米国ではメソジスト派と長老派にほぼ重なる。
特徴としては、日課を区切った規則正しい生活方法(メソッド)を推奨した。メソジストという名称は「メソッド」を重んじることから「几帳面屋」(メソジスト)とあだ名されたことに始まった。規則正しい生活が実践できているかどうか、互いに報告し合う小人数の組会、また、信仰のレベル別のバンド・ミーティングを重視した。このため軍隊や学校と相性がよく、ミッションスクールや病院の建設、貧民救済などの社会福祉にも熱心である。当時は教育の機会に恵まれない子どもに一般教育を与える日曜学校(教会学校としてキリスト教教育を施すように時代とともに変化した)や、当時の流行歌に歌詞をつけ、口語による平易な讃美歌を普及させたのもメソジスト教徒が中心であった。概して上流階級よりも中下層階級あるいは軍人への普及に力を入れた。
メソジスト運動の原動力となったのは、「確証の教理」で、この「信仰の確証」はメソジスト運動を特徴づけるものとなった。当時の形骸化したイングランド国教会からすれば、メソジストのこの「聖霊の証し」の強調は狂信主義とも思えたので、彼らはメソジスト運動を、他の理由と相俟って、妨害しようとした。
教会自体に軍隊組織を採用した救世軍や「聖潔」(きよめ)を強調するホーリネス運動、聖霊の働きを強調する聖霊派などもこのメソジスト運動の流れである。
メソジスト運動のそもそもの始まりは、イングランド国教会の教職であったジョン・ウェスレーが、モラビア派のクリスチャンと接触し、それまでの形式的な信仰から、いのちの溢れる信仰に導かれたことにある。人々は、輝いて生きるようになったウェスレーに魅せられて、指導を求めてきた。ウェスレーは木曜日の夜を定めて、これらの人々との交わりの時、指導の時を持った。これが人数が増し加わるにつれて、メソジスト・ソサエティが作られ、その組会のために信徒伝道者が立てられ、彼らの巡回によって、大英帝国全体に感化を及ぼしたメソジスト運動へと展開していった。
このように実際の運動を支えたのは、信徒の立場にあって労した説教者たちであった。植民地アメリカでのメソジストの働きも信徒によって始められた。それで18世紀の英国で始まった信仰覚醒運動から生じたメソジスト系の諸教会は、もともと信徒運動という性質の強い教会であった。
当初はジョン・ウェスレーをはじめとするごく少数のイングランド国教会の司祭たちによって指導され、聖職者がほとんど参加していなかったため、信徒の説教者を用いたことから、これを認めない国教会と対立し、激しく迫害された。神学的には国教会と同じくローマ神学を継いでいるが、上記の信徒による自立的な宗教活動を教義的に支えるため、プロテスタント諸派の中でも特異な聖霊学をもつ。
イギリスにおけるメソジスト運動は、主に中下層階級の市民や軍人を対象とした大衆運動として展開されながらも、ウェスレーという強烈な個性の存在によって、禁酒禁煙や几帳面な生活様式を要求するなど、爆発的な信徒数に結びつくにはほど遠い、厳格なピューリタン的な要素を含んだ運動であった。
(以上、ウィキペディアより引用)
こんな運動があったなんて…。
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